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これまでになくイメージのあり方が多様化し、即座に既視化する時代にあって、既存の産業構造やジャンルも変容を余儀なくされている。このような状況下で「写真」や「作品」という言葉がもつ意味は一様ではない。そこで新たな写真表現の可能性を探る試みは、既存の規範にすがってかりそめの新しさを演じることでもない限り、そう簡単なことではないだろう。
今回の審査は、その困難さを体現するようなものとなった。5名の審査委員の間で、意見はつねに割れた。混迷する議論を辛うじて羅針盤のように導いたのは、今回の「しゃしん」というテーマだった。写真を「しゃしん」へと解体することは、写真の原点を見つめ直す行為につながる。したがって、審査においては「新しさ」よりも写真の「原点」との距離感に比較的重点が置かれた。結果として選ばれた作品群に新奇さよりも素朴さのようなものが感じられたとするならば、それは以上のような理由による。
文部科学大臣賞を受賞した益健二さんの作品は、一見したところ何気ないスナップショットである。写真を「作品」にしようとして空回りする応募作が多い中、その衒いのない視線は異色ですらあった。しかしこの写真と「ワタシノミチ」というタイトルが組み合わされることによって、さまざまな細部が響き合うような、文字通り一枚の写真がもつ豊かさに立ち戻らせる力をもっていた。
その他の受賞作品については、ご覧の通り非常に幅が広い。なにしろ私たちは写真を通して、たったひとつの答えを求めているわけではないのだ。自分の答えは他人と簡単に共有できるものですらなく、その営為はどこかで終わるものですらない。とするなら、表現の道とはなんと孤独なものであることか。しかしいつの時代も優れた表現はそうした孤独の中から生まれるものであり、この賞がそのようにして生み出される作品を支えるものであればと願っている。

竹内 万里子

竹内 万里子

写真批評家