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APAアワード2024 金丸重嶺賞受賞者インタビュー

第52回日本広告写真家協会公募展APA AWARD 2024は、2月24日(土)から3月10日(日)にかけて東京都写真美術館にて開催されました。写真作品部門の入賞・入選全80作品がパネル展示され、若々しい息吹が感じられる展示となりました。金丸重嶺賞に輝いた「ソビエトのバス停」は、確かな技術力だけでなく、長期にわたる撮影の厚みを感じさせる作品です。撮影したフォトグラファーの星野藍氏に授賞作品についての思いを語ってもらいました。

写真作品部門  金丸重嶺賞

フォトグラファー : 星野 藍
「ソビエトのバス停」 8枚組作品

旧共産圏の失われつつある景色を記録する

 

  応募のきっかけを教えてください。

星野 私は写真が本業ではないのですが、アワードの存在自体は知っていましたし、知人から応募をすすめられることもありました。毎年、悩んでいるうちに応募期間が過ぎてしまうことを繰り返していたのですが、今回はたまたま応募期間中であることをネットで見かけて。私が追いかけている被写体は、主に廃墟や古いもの、失われていく景色なので、「記録と記憶」のテーマに沿っているなと思い、応募しました。

 受賞作「ソビエトのバス停」について

星野 2013年から、旧ソ連や旧ユーゴスラビアなど、旧共産圏の失われつつある光景を撮影することをライフワークとしています。

この作品の被写体はジョージア(アブハジアを含む)、キルギス、タジキスタンのバス停たちです。これまでバス停以外にも天文台や軍事施設などを撮り溜めてきましたが、今回はその中からバス停にフォーカスして構成しました。

 作品のバス停は、かつてスターリンの保養地があった地域や古くからの観光地にあるもの。栄えていた場所なので、やはりゴージャスなデザインなものが多いんです。また、学生の卒業制作として作られたものもあり、自由で独創性があるところにも惹かれました。

 制作で苦労されたことはありますか? 

星野 天候での苦労はありましたね。バス停ではない別の撮影でロシアに行ったときは、とにかく寒かったです。マイナス27度くらいの中を撮影して回ったのですが、雪というより、もはや氷の世界なんですよ。まつ毛も鼻の中も凍っちゃう(笑)。

反対に、キルギスなど中央アジアは36度くらいの灼熱で。車を借りて一人で行動していたのですが、なんとタイヤが砂漠にはまって動かなくなってしまったんです。スマホの電波もないし、ヒッチハイクしようにも通り過ぎる車にことごとく無視されるしで……。奇跡的にギリギリ電波が入るスポットを見つけられたので、レンタカーの業者に連絡して助けに来てもらうことができました。あれはかなりピンチでしたね(笑)。

 大変な思いをされてまで撮影する、その原動力は?

星野 行きたいから行く。ただそれだけです。周りからは、「普通は行きたい気持ちだけでは大変な場所に行かないよ」と言われることもありますが、私は行きたいと思ったら行っちゃうタイプ。好奇心が止まらないんです。

 

自分の信じるままに撮る

 

  これまでの制作活動について教えてください。

星野 学校がデザイン科だったので、写真については広告写真の講義で少し触れたくらいで、ずっとイラストを描いていました。学生時代に同年代のいとこが自死してしまい、その影響でイラストを描く気力が全く湧いてこなくなってしまったんです。しばらくふさぎ込んでいたのですが、とあるきっかけで長崎の軍艦島に興味をもち、行ってみることにしました。それが廃墟をテーマに写真を撮り始めたきっかけとなりました。

廃墟って、建物としての役割を終えて、いわば“死んでいるもの”なのですが、私にとっては“死にながら生きている”という感じがするんです。
軍艦島を歩き回っていると、目の前にある光景は確かに廃墟なのですが、その地に立って目を閉じると、たくさんの人が暮らしていた息遣いが聞こえてくるような……。そんな不思議な感覚がありました。それからは、いとこに対する感情を廃墟に寄せるような気持ちで、日本中の廃墟を撮りまわるようになりました。

転機は、2011年3月11日の東日本大震災にともなう原発事故です。私の地元である福島市は原発から60キロくらいの位置にあるのですが、風向きの関係で一時的に放射線の濃度が高くなってしまったんです。故郷がチェルノブイリのようになってしまうのではないか、故郷がなくなってしまうのではないか、という不安に駆られました。
今まで撮影してきた廃墟は、退廃美や、個人的な感情を乗せるための被写体と捉えていたように思うのですが、311によって、“生活をしていく場が失われていく”“廃墟は現実の延長線上にあるものだ”と実感し、廃墟に対して今までどおりの見方をすることができなくなってしまいました。

今後どう写真を撮っていけば良いのかと、モヤモヤした感情を抱えていましたが、悩むよりは実際に行ってみようと思い、震災から2年後の2013年にチェルノブイリに行きました。それが旧ソ連に足を踏み入れた、最初の経験です。
旧ソ連の建物のデザインや、独特の空気感に触れたことで、モヤモヤした感情が払拭されるような感覚がありました。旧ソ連のほかの国々を自分の目で見てみたい。そう思って渡航しだしたら止まらなくなってしまい、現在に至ります。

 受賞を知った時はどのような気持ちでしたか?

星野 楽しみにしている気持ちが3割、不安が7割くらいの気持ちで選考結果を待っていました。コンテストに応募するのは初めてだったので、受賞を知った時は純粋にすごく嬉しかったです。好きなことを黙々と追いかけたことでいただけた賞なので、これからも慢心せずに撮り続けていきたいです。 

 今後の写真活動について、教えてください。

星野 今は戦争の関係でロシアへの渡航制限があるため、その間に旧ソ連の痕跡が年々廃れていってしまうことが心配です。風化したり解体されてしまう前に、早く撮りに行きたいです。戦争が集結することを願っています。 

 APAアワードへの応募を考えている方へ、メッセージをお願いします。

星野 私の素直な気持ちとしては、「自分の信じるままに撮った写真を送ろう」。これに尽きます。

 

 

ほしの・あい

デザイナー・アートディレクターとして会社員として勤務するかたわら、旧ソ連構成国、旧ユーゴスラビア構成国など、旧共産圏の痕跡を主に写真として残している。

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インタビュアー:青山 波瑠香
2024年7月30日(火)APA事務局にて実施