APAアワード2025写真作品部門 飯沢耕太郎氏インタビュー:写真を見る「視点を養う」ということ
写真を見る「視点を養う」ということ
-APAアワード2025写真作品部門審査会に際して
近年、日本で写真を学ぶ留学生が増えていることに伴い、APAアワードでも外国人の応募者が年々増加傾向にあります。また、APAアワードに限らず写真賞は、「どんな作品を選出するのか」という外部からの客観的な評価にさらされていることも事実です。審査会に立ち会った筆者(フリーライター)は、「日本の写真賞が多様なバックグラウンドをもつフォトグラファーの作品を『選ぶ』にあたって、どのような価値観を有しておくべきだろうか?」と考えました。この時代を生きる個人として、写真を鑑賞するにあたり、どのような視点をもっておくべきだろうかと思ったのです。この純粋に湧き上がった問いを、飯沢氏に訊ねてみることにしました。
「視点」についてーー写真を見ることは、写真家の経験を追体験すること
年々、海外にルーツをもつフォトグラファーからの応募が増えているように感じます。日本人が日本人による写真と海外からの応募作品を並列に並べ、選ぶにあたって、外界からの視線がある中で、どのような価値観をもっておけば良いのでしょうか。
飯沢氏 「写真を見ること」に関しては、ヨーロッパだろうがアメリカだろうが日本だろうが、ある種の共通点はあると思います。ただ、日本独特の、「問わず語り」とでも言うのか、伝わりにくいものであるからこそ、言葉にはできない表現が可能であるのも写真表現の良さとも言えます。
日本人の感受性は非常に繊細で、「風が吹いたから、あぁ“秋だ”と感じる」といったような感性が昔から創作物に宿っています。その感覚はおのずと審査委員一人ひとりのなかにも息づいているだろうと思います。要するに「写真を見る」ことは、写真に写されている、写真家の視覚的な経験を追体験すること。写真を見る側の想像力が問われますが、そういった意味では日本であってもヨーロッパであっても、写真を見ることに大きな違いはないと思います。
「選ぶこと」についてーー価値観が多様化する中で共通するもの
今年の審査会の感想をお願いできますでしょうか。
飯沢氏 今年はかなり票がばらけましたね。例年は審査委員の票は7、8割方一致していたから、今年は珍しかったかもしれない。その理由はおそらく2つあって、一つはやはり、テーマの問題。審査委員それぞれにとってのテーマ解釈の難しさがありました。もう一つは、今というこの時代、状況で、共通体験ということそのものが難しくなっていること。1枚の写真を見た時にどう感じるか、受容する側の価値観が、もう相当引き裂かれつつあるのだと感じました。
それでも審査委員同士が議論を重ねて、最終的に数作品に絞られて受賞作が決まりました。そう考えると、やはりこの5人の価値観が全く異なるかというとそうではないし、応募者側と審査委員側に共通の価値観があるということです。
お互いにきちんと審査しているという信頼感がある前提のもとで、5人がそれぞれ違う視点で写真を見る。互いの話を聞いて確かめて、それぞれの違いも尊重して、最終的に作品が絞られてくる、と。価値観が多様化したうえにコロナ禍を経て、今はもう満場一致というのは難しいかもしれないですが、今回はそのような審査でしたね。
確かに、議論が進んでいくさまはまるで生き物のようでした。
飯沢氏 そう。賞によっては審査会が公開で行われる写真賞もあります。同じ会場に応募者がいる場合もあるから、そうすると審査委員も人間ですから影響されてしまう可能性もゼロではありません。
今は審査委員を務めてくれている蜷川実花氏が受賞した時の審査も印象的でした。数年連続で応募を続けていたけれど、一歩及ばずといった状況が続いたんです。それが、モノクロからカラーに転向した年にグランプリに選ばれた。審査というのは本当に生き物みたいなところがあります。
お忙しいところ、ありがとうございました。
写真を「選ぶ」ことの難しさを知ると、写真を「見る」ことの奥深さがより鮮明になります。審査委員たちはどんな視点で写真を見ていたのか? そして、あなた自身はどんな視点を持っているのか?「APAアワード2025 公募展」で、ぜひ実際の作品を前にして確かめてください。きっと、これまでとは違う見え方があるはずです。
文責:青山波瑠香(フリーライター)
写真(会場):松本岳治(APA会員)
写真(飯沢氏):唐 亨(APA会員)