APAアワード2023 写真作品部門審査会 レポート APA AWARD APA編集部

大学生が見たAPAアワード審査会

SNS等を活用し場所や時間に関係なく自ら発信し、多くの人に作品を見てもらえる機会と評価も得られるようになった現在。公募展に応募することの意味は何だろうか?これまで多数のフォトグラファーを輩出し、今年で51回目を迎えた幣協会公募展APAアワード。公募展の役割について再考するため、応募する側の学生さんから審査会をレポートしてもらった。

 

私はそこに、時代の『光』を見た。

 今年度の入賞作品を選出する票は初期から大きく割れ、同率順位の作品が並ぶ接戦が続いた。既存の写真という言葉のイメージが一様ではなくなり、写真という媒体自体の過渡期である現在に、自由度の高い今回のテーマ「私の写真」で集まる作品たちを審査するその視点には、より一層強く選者の個性が現れていた。

 入選作品は全体的にトーンが暗く、力強い印象を受けた。それはこのコロナ禍での人々の想いの表れなのだろうか。暗く、重く、毒々しい写真は未曾有のコロナ禍の時代と重なり、力強さはそこに生きる人々の忍耐的な生命力を感じさせる。また、入賞を果たした写真はまさに『光』が関係していた。このような時代だからこそ、かろやかな光を用いた表現はより際立ち、意味を持ち、それがAPA特選賞や複数の個人賞などに表れたのだろう。

 

 

 そんな中で私が今年度の入賞作品全体を通して感じたことは大きく3つある。

 まず1つ目は、APAアワード応募作品全体における作風の微細な変化である。主観ではあるが、今年度の入選作品は例年までのAPAアワードの印象とは少し異なる気がした。具体的にはいくつかの作品はCanonの写真新世紀を私に連想させた。写真新世紀が30年の歴史に終止符を打った今、さまざまな人がこのAPAアワードに新たな可能性と意味を見出したのかもしれない。

 2つ目は、写真と言葉の関係性についてである。2022のテーマである「しゃしん」で文部科学大臣賞を受賞した益健二さんの「ワタシノミチ」では、テーマとの親和性から写真の「原点」を連想させるものに評価の重点が置かれ、この写真とタイトルが組み合わさることによって生まれる1枚の写真が持つ力が受賞要因の1つであった。そのためか去年に引っ張られるかたちで、今年は「お題に対しての答え合わせを目的とした作品」が多かったように思える。その結果、傾向としてタイトルが写真よりも語っている作品やストーリーテラーのような、物語が先行して浮かぶ写真が多く見受けられた。

 そして3つ目としては、コロナ禍で生じた「距離感」「コミュニティ」「切り取り方」においての変化である。近すぎず、遠すぎずという被写体との独特な距離感を形成した作品や、被写体も自分の身の回りのものや、近いコミュニティの中にいる人々を新たな切り口で写そうという試みを持った作品が多く見受けられた。同時に、今回の入選作品は心象風景を表す作品が多かったように思える。一見すれば、外側を切り取る風景写真のように思えても、よく見ると自身の内側を実際の風景になぞらえて表現しているようであった。この3つの変化は、コロナ禍でのさまざまな変化が写真を通して可視化され、意識的に捉えることを可能にしたのではないか。

 

 

 私は今回の審査会に立ち会ったことで、時代までも写しだす写真の力を体感した。そして人が人を評価することの意味を深く考えさせられた。何を見て、誰に伝えるのか。作者や審査員達も、皆1人の人間であり、彼らがかたち作られる過程には、その時代や生き方、生まれ育った環境や個性など唯一無二の経験がある。その全ての経験が混じり合い、鋭い視点を静かにぶつけ合い、織り成された表現の先に、新たな時代を写す写真が生まれるのであろう。そんな写真を生み出すことは並大抵の努力では到達し得ない境地かもしれない。しかし、きっかけは身近にあるのかもしれない。

 自分を形成する様々な機会や出逢い、そして自身を取り巻く環境に想いを寄せることにより、世界への個性豊かな眼差しを獲得することができるのではないか。皆がひとつずつ持っているこの眼差しにこそ、ひとの心を動かし、新たな時代を写す大きな可能性が広がっているのではないか。私も、きっとそんな眼差しを持っている。その眼差しをこれからも豊かに育み続け、私だから伝えられることにゆっくりと寄り添い、自身の作品制作と向き合っていきたい。

 

 

 

 

                                                                  文 日本大学芸術学部写真学科3年 野口哲司